HP管理者の日記;第162
HP管理者:「松尾 正好」の簡素な自己紹介
1.嘉穂東高校20回生(S43卒) 年齢;計算してください。
2.多摩ニュータウン;南大沢 都立大学近くに在住(最寄駅;京王線南大沢駅)

丹沢山塊へ落ちる夕日
 
NO.
876
平成16年1月2日(金)晴れ
 事務所から窓越しに小さく京王線橋本駅に停車している電車が見える。車内は閑散としているように見える。正月2日目ゆえ当り前のことかな。昨年末の大晦日、一昨日、こちらも当り前の事ながらどれも同じ12月31日を指す。この日は小雨の降りしきる冷えた京都の街にいた。左記の画像はその折り、形が珍しいので1個だけ買い求め持ち帰ってきたお菓子。未だ食べていないから味は?。由来書によると「奈良時代遣唐使により我が国に伝えられた唐菓子の一種で数多い京菓子の中で、千年の歴史を昔の姿そのまま、今なお保存されているものの一つ」だそうだ。「菱葩餅(ひしはなびらもち)」も買い求めてきていたがこちらの方は元旦の朝、頂いてきた。
H16.1.1撮影 唐菓子「清浄歓喜団」 
NO.
875
平成16年1月1日(木)晴れ


謹賀新年



H16.1.1撮影 「乙女椿」と判明した。 事務所にて
NO.
874
平成15年12月28日(日)晴れ
 近くの図書館で予定外の「日本の街道;長崎街道」の雑誌を手にしてしまった。長崎街道;小倉から長崎まで通じる当時の大動脈。現在でいえば一級国道だろうか。古くは菅原道真が、シーボルトが、象が、歩いたのであろう。本のなかでは、豊前小倉から始まって、黒崎、木屋瀬、内野、冷水峠、田代、・・・長崎と説明が記載されているが、残念なことに飯塚については何も無し。まことに残念なので「麻生健保50年」誌(昭和52年発行)に掲載されている文章を拝借してここに掲載させて頂く。
 吉田寅次郎(松陰)が長崎留学に向かう時に記した「西遊日記」の一節に次の文がある。
「晦日(嘉永3年8月3日)晴。黒崎を発して木屋瀬に至る。飯塚を経て内野に宿す。内野は寂寥の山駅にして海遠く山深し。其の故にや二里ばかりの処まで出て、客を引く者あり。黒崎より
木屋瀬へ三里、木屋瀬より飯塚へ五里、飯塚より内野へ三里、凡そ十一里にして宿す。」
上記のことから筑前六宿の一日がかりの旅が偲ばれる。
H15.12.25撮影
  三日月とその上空に輝く星(金星?)。見えるかな?
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