| わたしの読書あれこれ(その21);第六回目 | |||
| 諫山 禎一郎 | |||
| 昨年十二月に、東京・日比谷の芸術座で近藤富枝原作、森光子主演の東宝現代劇「本郷菊富士ホテル」を観劇した。これは昨年暮れにNHKテレビでも放映されたので、ご覧になった方もあるかも知れない。近藤さんの原作は、中公文庫に入っており、「馬込文学地図」「田端文士村」「信濃追分文学譜」(いずれも中公文庫)など、文壇史ものとして知られ、わたしも読んでいたので、どんなふうに劇化されるのかと興味を持った。マキノノゾミが脚本を書き、栗山民也が演出した。芸達者な森光子に、岡本健一、中田喜子など助演陣も好演でよかった。本郷菊坂にあった菊富士ホテルは、昭和二十年三月十日の東京大空襲で焼失したが、その歴史は、もっと語られていいと思う。先日、本郷へ行く用があり、ついでにその跡地を訪ねたが、今はその碑だけがあり、かつて宿泊した著名人の名前が彫られていた。このホテルは、当初菊富士樓なる下宿屋から始まり、当時帝国ホテル、東京ホテルに続き東京第三のホテルとしてブランデンなど外人客も泊まったところである。地下一階、地上三階、南端屋上に塔の部屋をもち、屋根なりにイルミネーションで飾った新館ができたのは、大正三年。部屋はすべて鍵がかかり、厨房に大きな冷蔵庫を備え、破格の高給で雇った西洋料理のコックが自慢の当時としてはハイカラなホテルだったそうだ。 今また、この本を読むと、近藤さんと縁戚関係になるホテルの創業者羽根田幸之助夫妻のことや、宿泊者との交流が描かれている。特に大杉栄、伊藤野枝、竹久夢二、神近市子、宮本百合子、広津和郎、宇野浩二、湯浅芳子などのことが出てくるくだりは、劇中でもこれらの人が頻繁に出たので対比しながら読んだ。 この本郷界隈は、明治の昔から文人や学者に愛された町であり、東京大学の広い敷地を中心にその周囲には、由緒あるところが多い。わたしが主宰する「江戸東京を歩こう会」の今年一月末のテーマは、「東大逍遥・根津神社から観潮樓へ」であった。歩いたコースにあった「本郷館」という木造三階建ての下宿屋は、明治三十八年建築という年代物であるが、今なお居住者がいて往時の下宿屋なるものを身近に見ることができる。これは戦災にも遭わず、あのバブルにも耐えて生き延びている。むしろ今となっては、永久保存にでもすべきものであろう。また、夏目漱石の「猫の家」も、跡地が日本医大の校友会館になっていた。森鴎外もこの漱石の家に住んだことがあるそうだが、家自体は愛知県の明治村に移設されている。鴎外の家「観潮樓」は、跡地が文京区立鴎外記念本郷図書館になり、庭が残っていて、そこから向かいに上野の山を眺めることができる。明治の昔は、高い建物がなく、文字どおり遠くに東京湾が望めたのかと思う。菊富士ホテル跡地の近くに、文京区立の「文京ふるさと歴史館」があるが、昔はこの地に多かった修学旅行旅館の特集展示「なつかしの修学旅行−本郷旅館繁盛記−」が開催されていて、菊富士ホテルや羽根田夫妻の写真も展示されていた。大正時代には、本郷に下宿屋と素人下宿が何と二百八十軒もあったそうだが、下宿屋が旅館になり、今ではその旅館も僅かになってしまった。これは、都内各地にできたホテルの激増、大学の郊外移転、今の学生のワンルーム・マンション好み、修学旅行の行き先の変化などで転廃業が続いたせいである。 話は、近藤さんに戻るが、先年世田谷区立文学館で彼女の講演があった。作家ご本人にお目にかかるチャンスは中々ないことなので、楽しみにして行った。折から「青鞜と女人芸術−時代をつくった女性たち展−」が開催されており、その企画に沿った「矢田津世子」という今は忘れられている美貌の作家のことを話された。津世子のことは、前述の著書「本郷菊富士ホテル」にも書かれ、写真も掲載されている。近藤さんは、江戸っ子であり、NHKのアナウンサーもされたことがあるので、話しぶりもはっきりしていて聴きやすかった。瀬戸内寂聴さんとは、東京女子大時代の同期生で学生演劇仲間であり、瀬戸内源氏物語と与謝野源氏の比較論なども話された。近藤さんの丹念な調査による前述の著作、その作家、作品の全貌を明らかにする姿勢に、わたしはいつも尊敬の念をもっている。(一九九九年三月) | |||