| わたしの読書あれこれ(その45) | ||||
| 諫山 禎一郎 | ||||
| 東京・小金井市にある出版社・ネット武蔵野から昨年末に発行された眞杉章著「天使のピアノ−石井筆子の生涯−」(千百四十三円)を求めた。昨年十一月下旬に、筆子が後半生を捧げた滝乃川学園(東京・国立市)で開催された「筆子を読む会」で、同氏から出版を予告され楽しみにしていた。A4版小の変形サイズで三十九ページ、多くの写真と大きな活字で読みやすい。題名の「天使のピアノ」とは、この日本最初の知的障害児の福祉・教育施設の片隅に、半世紀以上も忘れられ放置されていた一台のピアノが、ある市民グループの目にとまり、鑑定の結果ドイツから輸入された名品で日本最古級の幻のピアノであり、筆子が愛したピアノであること。そして、このピアノの正面に天使の絵があり、学園の職員がひそかに天使のピアノと呼んでいたものだった。この絵は、この本の表紙を飾っており美しいの一語につきる。 わたしは、本誌昨年二月号にも筆子のことを書いた。彼女は一八六一年(文久元年)長崎・大村藩士だった父渡辺清の長女として生まれた。父は、弟の昇とともに討幕派として活躍し、江戸城開城では西郷隆盛の副使として勝海舟との会談に臨んだ。その後、明治新政府の高官になり、男爵となった。彼女は、当時唯一の女子高等教育機関であった竹橋女学校(後のお茶の水女子大)を終え、福岡県令(今の知事)だった父に従って、長崎のアメリカ領事館で、来日したグラント前アメリカ大統領と話し、英語で話ができたことをほめられたという逸話がある。十九才でフランス・オランダに留学し、帰国後は華族女学校(今の女子学習院)の初代フランス語教師になった。鹿鳴館華やかなりし時代には、得意の英仏蘭語で社交界の花形であったという。その後、大村藩出身の技術エリート官僚・小鹿島果と結婚し、三女に恵まれたが、ともに障害、虚弱の体質であった。その上、次女と夫を病死で失う。そのころ彼女は石井亮一を知り、娘二人を後述の彼の学園に託す。 亮一は佐賀藩の出身で、若くして立教女学校(今の立教女学院)の教頭だったが、一八九一年(明治二十四年)の濃尾大地震で孤児となった女の子を東京に引き取り、滝乃川学園の前身である聖三一孤女学院を東京・上野に設立する。一八九二年彼は私財をなげうち、東京・滝野川に同学院を新築し移転する。二十五才であった。この孤児の中に二人の知的障害児がいたことから、以後積極的に障害児を受け入れるようになる。一八九七年滝乃川学園と改称する。 筆子は、校長をしていた静修女学校の土地建物を津田梅子の女子英学塾(今の津田塾大学)に譲り、長女を預けた滝乃川学園に住み込み、奉仕に全力を打ち込む。一九○三年、二人は、両家の猛反対にも拘わらず結婚する。夫妻の生活は、何事も園児と同等にということであった。その後、巣鴨に移転し、さらに一九二○年の大火で園児六名が焼死という苦難に遭いながら、一九二八年国立市の現在地へ新築、移転する。亮一は一九三七年生涯を閉じたが、脳溢血のため車椅子生活の筆子は、七十六才で第二代学園長に就任する。一九四四年に筆子は、八十三才の生涯を閉じるが約四十二年間、知的障害児のために捧げた悪戦苦闘の後半生であった。 眞杉氏は、小学館在職中、同社のPR誌「本の窓」編集長を十六年もされた。同誌の今年三・四月合併号に、この「天使のピアノ」の取材執筆の顛末を書かれた。それによると、筆子の生涯の意味の大きさは、盟友であった津田梅子に勝るとも劣るものではない。だが、どうして筆子が今まで知られることなく、歴史の中に埋もれていたのだろうか。あえて理由を探せば、戦後日本の精神の貧しさの一面を物語るものであろうと。傷むに任せ、埃をかぶったまま忘れられ廃棄寸前だった「天使のピアノ=筆子のピアノ」は、その象徴であったといえるのではないかという。 また、学園の百年史編纂委員の河尾豊司氏が筆子についての詳細を講演した記録が、彼女が晩年通った東京・府中市の日本聖公会聖マルコ教会から「石井筆子」(A5版五十九ページ)として昨年発行された。 一方、亮一については、彼の母校・立教大学のコミュニティ福祉学部の新設を機に、鈴木範久教授が一九九九年入学の一年生二十一名のゼミを指導され、調査した結果をまとめられ、昨年「石井亮一物語」(A4版三十三ページ)と彼の蔵書の内、洋書千冊余の仮目録を限定発行された。これを読んで、わたしは最近の学生は指導よろしきを得れば、すばらしいレポートを書くことに驚いた。彼の通った佐賀藩の藩校の後身・勧興小学校や佐賀中学(現在の佐賀西高校)の記録や、明治期の先進的な雑誌「女学雑誌」に載った彼の論文などを克明に調査している。教授によると、発行後反響が大きく残部が無くなってしまったとのことである。 このようなことから、この夫妻のことがようやく脚光を浴びてきていることを喜びたい。(二○○一年三月) | ||||