わたしの読書あれこれ(その41
諫山 禎一郎
  十月中旬に、俳優池部良氏と作家星川清司氏との対談、併せて映画「トイレット部長」の上映があった。これは、東京両国にある東京都江戸東京博物館にて開催された「新江戸東京自由大学」という教養講座のうち、東京の坂と橋をメインテーマとして、映画に見る坂と橋をサブテーマとした講座の一つであった。聴講料は千五百円であった。この新江戸東京自由大学は、東京都歴史文化財団という都の外郭団体が主催していて、今年で八年目になり、毎年秋に約三十の講座が準備され、いつも八月下旬から聴講募集が始まる。わたしは、最初の年から聴講しており、今は毎年案内が来る。興味のある分野と日程を考えて申し込むが、今年は前記の講座だけになってしまった。過去の講座で印象に残っているものは、久米邦武編田中彰校注「特命全権大使米欧回覧実記」(岩波文庫−全五巻−)の田中北大教授や久野明子「鹿鳴館の貴婦人大山捨松」(中公文庫)の著者久野氏などであった。彼女は、捨松の曾孫に当たる。捨松は津田梅子などとともに、明治四年前記の特命全権大使に同行して、アメリカに留学した人である。
 今回、まず驚いたのは今年八十二才になる池部氏の若いこと、さすが俳優だと思った。対談は星川氏が池部氏に質問をするという形で進められたが、坂と橋の話はそっちのけで専ら映画の話に終始した。島津保次郎監督、小津安二郎監督のことや「青い山脈」の石坂洋次郎氏、「雪国」の川端康成氏など原作者たち、交流のあった人との隠れた話があり、おもしろかった。聴衆は二、三百人位だったが、みなさん満足したようであった。対談の後、映画が上映されたが、これは昭和三十六年の封切、当時国鉄の技術課長だった藤島茂氏の同名の著作を映画化したもので、主演はもちろん池部良で、助演の淡路恵子、浜美枝、久保明など、いずれも若かった。わたしは昔から洋画フアンで、これは初めて見た。通勤客が殺到する駅のトイレの設備改善を担当する部長を中心に展開し、当時の世相が映し出されていた。東京オリンピック前のまだ雑然とした都内風景が当時を思い起させた。朝、通勤のため国鉄本社のあった東京駅前まで、隣人の購入したマツダ・クーペなる新車に同乗する光景など、サラリーマンにとってマイカーがまだ珍しかったころを思い出した。この車は、二人乗りの軽自動車で、今考えれば珍妙なスタイルの車だったが、わたしの妻の父もこの車に乗って患者の往診に行っていたので、ことさら懐かしく感じた。映画のタイトルが出てくる前に、古代からのトイレの歴史が紹介されるが、それを企画したのが、監督に頼まれた池部氏であったことを対談で話された。
 池部氏といえば、エッセイの著作がたくさんあり、わたしも愛読している。専ら文庫本で読んでいるが、「風が吹いたら」(文春文庫)、「そよ風ときにはつむじ風」(新潮文庫)、「風、凪んでまた吹いて」(講談社文庫)、「山脈をわたる風」(小学館文庫)などなど、中には「そよ風…」のように正、続、続々と連作物もある。とにかく文章がうまい。文章のうまいのは、もって生まれた天性だと思うが、この人の文章には読む人をひきつける何物かがある。画家の父鈞氏のことが書かれているが、頑固おやじで江戸っ子気性丸出しの人柄、何だかその風貌が分かったような気分になる。一方、母親は画家岡本一平氏の妹であり、一平氏と鈞氏は東京美術学校(現・東京芸術大学)に学んだ同窓である。したがって、岡本かの子、岡本太郎母子とも縁戚になり、いろいろなエピソードが書かれている。また、池部家は当時大森にあり、あの大森文士村の一角にある。先年、わたしは主宰する「江戸東京を歩こう会」で、この文士村を歩いたことがあり、書中に出てくる臼田坂などを思い出した。
 話を当日の対談に戻すと、聴衆からの質問で映画「青い山脈」の話になり、主役の高校生六助の役を当時三十四才であった氏が、原作者の石坂氏からのじきじきの指名で決まったことなどが話された。同名の主題歌は、戦後の混乱の中に生まれた明るい青春歌謡で大ヒットし、日本国中で歌われたが、わたしも当時庄内中学生で、よく歌ったものだ。今でも毎年中学のクラス会があるが、必ず皆で合唱し、昔を懐かしんでいる。(二○○○年十一月)