| わたしの読書あれこれ(その22);第十回目 | ||||
| 諫山 禎一郎 | ||||
| 二月中旬、向田邦子原作の演劇「寺内貫太郎一家」を東京・新橋演舞場に見に行った。これは、最近テレビで放映した同じタイトルの実演版で、主な出演者は同じ顔ぶれであり、小林亜星、樹木希林、加藤治子、浅田美代子、西城秀樹などが顔をそろえていた。テレビで有名だった激昂した亜星の貫太郎が食卓をひっくりかえし、取っ組み合いをするシーンなど笑いを誘う場面もチャンと組み入れられていた。考えれば、このテレビ・ドラマは今から二十年以上も前に放映されていたものなのだ。それが、最近の電話のコマーシャルに復活し、当時を知らない若い人に歓迎され上演が決まった。演出も、テレビと同じく久世光彦であった。特に、希林の芸達者ぶりは驚きだった。久しぶりに、笑いに満ち溢れた演劇を見て楽しかった。聞けば約一月間、連日満員の観客であったそうだ。 わたしは、向田フアンであるので、彼女に関連の演劇やテレビ・ドラマは必ず見ることにしている。彼女の母校の実践女子大にある「向田邦子研究会」にも入っていて、この上演も研究会から案内をもらった。わたしの向田邦子への思い入れは、前にもこの「嘉麻の里」平成九年十月号にも書いた。死後十八年経っても、彼女に関連するドラマが上演されたり、本が出版されたりする現象はどうしてであろうか、ふしぎでならない。 さて、最近読んだ本では、上野たま子「向日葵と黒い帽子−向田邦子の青春・銀座・映画・恋−」(KSS出版刊)が、雄鷄社の雑誌「映画ストーリー」編集部時代の同僚として彼女を活写していて、その才女ぶりが想像できる。また、「向田邦子映画の手帖」(徳間文庫)は、彼女が書いた映画ストーリーの編集後記と当時の上司・高木章編集長や上野さんなどの追憶が詰まっている。植田いつ子「布・ひと・出逢い」(集英社文庫)は、衣装デザイナーとしての著者と彼女との交友ぶりが目に見えるようだ。植田さんの講演は、実践女子大で聴いた。演出家の久世光彦は、彼女との接触ぶりを、「花迷宮」(新潮文庫)「触れもせで」「夢あたたかき」(いずれも講談社文庫)に書いているが、彼女を姉とでも思っていたのだろうか。また、研究会が、会員にアンケートをさせて、まとめた「向田邦子熱」(いそっぷ社刊)は、邦子熱にかかったとも思われる会員の中には良質な書き手が多数いて、それぞれ思いの丈を吐露している。いわく大学講師あり、フリーライターあり、わたしも会員の一人ではあるが、残念ながらこの本には寄稿していない。しかし世の中には、こんな熱烈なフアンがいるということ、それもフアン・クラブというと何か歌手などタレントのフアン・クラブを想像しがちであるが、この向田邦子研究会はまじめなクラブである。最初は実践女子大の関係者数人で発足したのが、今では会員百三十人にもなっている。この本は、創立十周年を記念して出版された。この会は、六年前にも「素顔の幸福」なる会誌を出している。また、最近文春文庫から「阿修羅のごとく」「冬の運動会」など、彼女の脚本から小説化したものが出ているが、わたしは原作を好む立場からこの手のものは読まない。 今春も、実践女子大は彼女に関連する公開講座を計画しており、三月中旬には小林亜星とかつてNHKのチーフプロデューサーであり親交のあった同大学教授・平原日出夫両氏の対談「父を語る−寺内貫太郎を中心に−」があった。公演直後のことであったので、それに関連する話から始まった。亜星氏の母親も実践出身で、彼女もその関係で親近感をもったのではないかという。特に印象に残った話は、今日本の家庭では、一家で食卓を囲むという習慣が無くなりつつあることの指摘であった。これは、我が国の高度成長とともに、父母が外でお金を稼ぐようになり、こどもが一人で夕食をしているのが当たり前という現象が現れている。従って、貫太郎一家で見るような一家団欒などの光景は、今では珍しくなっている。彼女は、このような今日の「家庭崩壊」現象を予見して、このドラマを書いたのではないか、それは彼女が過ごした父を中心とした戦前の理想的な家庭の生活規範を愛惜したことが基になっているのではないかということであった。また、平原教授は、好きなエッセイ「泣き虫」を上げ、彼女は父の死後四十九日経ち、京都で土産に父の好物のこのわたを思わず買って、ハッとし、死を実感し泣き崩れたところがいいといった。わたしも、同感であった。(一九九九年四月) | ||||